人間の容(ウツワ)としての建物は、外から定められるのではない。人間がその中に在って建物を内から定めるのが自然であろう。

私は建物を設計するとき、それが四角四面の単なる箱にならない様に、建物の中を想像し歩いてみる。呼吸してみる。そして建物がこの私の「動き」に呼応するように、その空間を導いて行く。

それでは、「動き」を司る私の中の何がその根源としてあるのだろうか。以下、少し哲学じみてくるが、動きの根源について、正直に述べてみたい。

『神秘学概論』(ルドルフ・シュタイナー著)この本の中に、今の地球が生まれる以前の、まだ地球が物質化していなく、気体すら存在しなかったころの「土星紀」について、次のような記述がある。

「物質的な感覚の世界での熱は固体・液体・気体の状態である。しかしこの状態は、熱の外側もしくは熱の作用でしかない。物理学者は熱のこの作用についてしか語らず、熱の内的本性については語らない。外なる物体から受け取る熱の作用をすべて排除して、もっぱら、たとえば「暖かく感じる」とか「冷たく感じる」とかいう場合の内なる体験だけを心の中に甦らせる努力をしてみる。そのような内的体験だけが、進化の右述中期の土星紀についての観念を与えてくれる。」

私はこの暖かさ、冷たさの感じをたよりに粘土模型をいじり、机に向かって手を動かし線を定める。そして私は心の中に「もっと熱を!」と願わざるを得ない。

この「熱」の感情によって促された「動き」を自らの手で建物の中に現実的なものとして定着させたい。その時建物は窮屈さを脱して「暖かく感じる」空間をもった有機的な建築となるだろう。

村山 雄一

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